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チ。のラストの感想

中世の天動説と地動説を描いた漫画『チ。―地球の運動について―』を読み終わった。つらつらとネタバレありで感想を書く。

前から面白いと話では聞いていたものの、なんとなく食わず嫌いをしていて、アニメが始まるというので、今度はなんとなく観たら、第一話で一気に引き込まれた。それから、アニメとどれくらい違うんだろうと思って、漫画も読んでみた。漫画はもう完結していて、全部で8巻と短めなので読みやすかった。ただ、ちょいちょい異端者の拷問シーンがグロい。これが無理で断念する人もいるみたいだ。

5分でわかるアニメ『チ。 ―地球の運動について―』

ほとんど前知識なしで読み始めたときは、12歳の少年で天才孤児のラファウが主人公で、彼が、拷問に耐えながら地動説を伝えていく物語だと思っていた。でも、結構な急展開が起き、ラファウが死んでしまうし、時間が一飛びする。どうなるんだろう、やっぱり生きてた、みたいな展開になるのかな、と思いながら読んでいくと、なるほど、この物語は、知や感動を繋いでいく、という部分に焦点が当てられた話なんだなと思う。その後の登場人物たちも、弾圧されながらも、地動説の断片を繋いでいく。

そして、最終巻での、ドゥラカという女性が、日の光を浴びながら死んでいくシーンでは、カタルシス的に泣けるものがあった。これで終わりでもいいし、その後の軽い後日談が添えられるくらいでいいんじゃないかなと思った。でも、ラストは、さらなる急展開で、正直な感想として、一気に置いていかれる感覚になった。

というのも、時代は少し戻り、これまで架空の物語だったのが、デンマークという具体的な地名も設定され、最初の巻で死んだはずのラファウが、大人になって出てくる。そして、ラファウは、地動説を唱えたコペルニクスの師であるアルベルト・ブルゼフスキという実在の人物の先生として描かれる。この辺りですっかり混乱する。

しかも、ラファウが、地動説に関する資料を見せなかったとしてアルベルトの父親を殺して、少年のアルベルトに見つかるというシーンがあり、これは、一巻に出てきた、異端審問官のノヴァクが異端者を殺したシーンとよく似ている。

なんだこれは、となる。

ラファウが生きていた、ということは流れ上も全く合わないから、もしかしたら、これまでずっと続いてきた話は、歴史上あったかもしれない、もう一つの話、ということなのかもしれない。

作品を通して、タイトル通り、「知」の重要性と、また、信じること、信念ということが語られる。一方で、その信じることが、ノヴァクがずっと信じて弾圧してきたことが勘違いだった、という描写にも象徴されるように、思い込みの怖さにも繋がる。

自然の美しさと、神と、人間の知性と、この辺りのせめぎ合いは、一言では片付けられない複雑さがあった。

さらに、ラストの急展開で、いよいよ複雑化する。ただ、最後で現実の歴史とかすかに結びつけることによって、この物語が、ありえたかもしれないもう一つの話、フィクションであるということを伝え、また、同時に、全くのフィクションではない、という可能性も残すことで余韻に繋がっているのかもしれない。

とにかく、作品としては面白かったし、心に響く“名言”とされるような台詞も多かった(『チ。―地球の運動について―』の名言について)。

象徴的なものとしては、第一巻で、異端研究をするフベルトが言った、「私は命を張る場面でこそ直感を信じる」、そして、「不正解は無意味を意味しない」というものだ。これも、「信じる」ということに繋がっている。信じて、間違っていたらどうするのか、と問われ、「構わない、不正解は無意味を意味しない」とフベルトは言う。

覚悟を持って信じ、進んだら、それが間違っていたとしても、決して無駄にはならない。今正しいとされることに疑いの眼差しを持つ。絶対視しない。とともに、信じたことが間違っていても、それは必ず自分の、あるいは、歴史の糧になる、ということなのだろう。