子供の頃、夏休みの宿題でもっとも苦手だったのが、「読書感想文」だった。
基本的に夏休みの宿題は後回しだったが、後回しのなかでも特に読書感想文は、最後列に回していた。そもそも、読書自体が、それほど好きなほうではなかったし、ましてその感想を長い文章にまとめる、ということは、小学生の僕にとっては途方もなく険しい道のりのように映った。
面白かった、という一言で終わらせたい、むしろ、それ以外の言葉が見つからなかった。でも、残念ながら、読書感想文は、「面白かった」では駄目なのだ。正直、「なんでだよ、それだって感想じゃないか」と不満に思っていた。
大人になった今でも、何かの感想を伝えるというのは難しい。それでも、趣味であったり、好きなものの感想なら、伝わるかどうかを一旦置いておくとすれば、ほどほどにはできるようになった。これのこの部分が面白いんだよ、惹きつけられるんだよ、というのは、結構熱く語れる。
逆に、それほど興味のないこと、たとえばバラエティ番組に興味がない人が、「課題お笑い番組」を観た上で、感想をまとめよ、と言われたら、普段文章力に自信がある人でも、ちょっと難しい、となるのではないだろうか。
このことからも分かるように、好きかどうか、というのは、感想において重要な点になる。
このことを踏まえた上で、なぜ読書感想文が難しいのか、ということを考えると、大きく分ければ、二つのパターンに分けられる。
①感想はあるが、言語化したりまとめるのが難しい。
②感想がそもそもあまりないのに、無理やり膨らませて文章にしようとするから難しい。
①の場合は、どの部分が一番伝えたいことで、どう整理し、どうやって表現していくか、という技術的な問題になる。
一方、②の場合は、まずちゃんと読む、その本を読み込む経験をしっかりする、ということが必要になる。
読書感想文と一緒に読書ごと嫌いになるのは、特に②の理由で苦しんでいる人に多いのではないかと思う。
たとえば、こういった子供たちには、読書感想文ではなく、まずは「自分が一番好きなこと」の感想を表現する形にしたほうがいいように思う。
スポーツならスポーツ、お笑いならお笑い、自分がなぜ好きなのか、どの瞬間が一番好きか、好きになったきっかけは何か、といったことを、まず見つめること。そして、その中身を整理し、その上で、一つ一つを、知らない人にも伝わるようにするにはどんな形で文章にしていくのがいいか、ということを考える。
読書感想文が苦手で、難しいと感じる理由が、「そもそも大した感想がない」という場合、一つのことをちゃんと経験し、その経験のなかで自分が感じたことを、深く感じ取れること、という言わば感想の表現に至る「前段階」の練習が必要なのだと思う。
そのあとでようやく、今度は、その溢れんばかりの胸の中に渦巻く感想が、「言語化できない」「まとめ切れない」という①の難しさに直面することになる。こうなって初めて、「読書感想文の書き方」といったことも生きてくる。
まずは、「経験し、感想を抱く」という部分が、なによりも大事なことだと思う。