本の言葉

茨木のり子と、マザー・テレサの最後の言葉「言葉が多すぎます」

マザー・テレサの最後の言葉「言葉が多すぎます」

マザー・テレサは、1910年にユスキュプ(今の北マケドニア共和国)に生まれ、1997年に87歳で亡くなったカトリック教会の修道女です。「マザー」は指導的な修道女への敬称に由来し、「テレサ」は、彼女が敬愛する、リジューの聖テレーズに由来する修道名で、本名は、アルーマニア語でアグネサ/アンティゴナ・ゴンジャ・ボヤジと言います。貧困に苦しむ世界中の人たちのための活動は生前から高く評価され、1979年にはノーベル平和賞も受賞しています。

マザー・テレサの最後の言葉として、印象深いのは、「言葉が多すぎます」という一言。祈りとは、語るよりも傾けること。静寂を言葉や思考で埋めないこと。しかし、心は不安を言葉で埋め尽くし、世界は言葉で覆われる。祈りのひとゆえに、「言葉が多すぎる」とマザー・テレサは言ったのかもしれません。ただ、この言葉を、実際に彼女が最後に言ったかどうかは分かりません。これは、詩人の茨木のり子さんの詩「マザー・テレサの瞳」という一節に登場する言葉です。

「マザー・テレサの瞳」

マザー・テレサの瞳は
時に
猛禽類のように鋭く怖いようだった
マザー・テレサの瞳は
時に
やさしさの極北を示してもいた
二つの異なるものが融けあって
妖しい光を湛えていた
静かなる狂とでも呼びたいもの
静かなる狂なくして
インドでの徒労に近い献身が果たせただろうか
マザー・テレサの瞳は
クリスチャンでもない私のどこかに棲みついて
じっとこちらを凝視したり
またたいたりして
中途半端なやさしさを撃ってくる!

鷹の眼は見抜いた
日本は貧しい国であると
慈愛の眼は救いあげた
垢だらけの瀕死の病人を
── なぜこんなことをしてくれるのですか
── あなたを愛しているからですよ
愛しているという一語の錨のような重たさ
自分を無にすることができれば
かくも豊穣なものがなだれこむのか
さらに無限に豊穣なものを溢れさせることができるのか
こちらは逆立ちしてもできっこないので
呆然となる

たった二枚のサリーを洗いつつ
取っかえ引っかえ着て
顔には深い皺を刻み
背丈は縮んでしまったけれど
八十六歳の老女はまたなく美しかった
二十世紀の逆説を生き抜いた生涯

外科手術の必要な者に
ただ繃帯を巻いて歩いていただけと批判する人は
知らないのだ
瀕死の病人をひたすら撫でさするだけの
慰藉の意味を
死にゆくひとのかたわらにただ寄り添って
手を握りつづけることの意味を

── 言葉が多すぎます
といって一九九七年
その人は去った
(茨木のり子『倚りかからず』より)

この詩が収録されている『倚りかからず』は、2006年に79歳で亡くなる茨木のり子さんが晩年に差し掛かる73歳のときに出版された詩集で、15万部を超えるベストセラーとなりました。