不正解は無意味を意味しない。
これは、漫画『チ。』のなかで冒頭、天動説という主流の思想にとって、地動説という異端思想を持ったフベルトという学者が、若いラファウに言った台詞。
作品の序盤、ぐっと心を掴まれる言葉だ。
その時代、その世界の正しさは天動説。しかし、フベルトは地動説を信じている。その信念に、命を賭け、もし間違っていたら無意味に死ぬことにもなる。しかし、彼は、間違っていたとしても構わない、と言う。不正解は、無意味ではない。
魚豊『チ。』
僕は、試行錯誤、という言葉が好きで、よく試しにやってみる。そして、おかしいなと思ったら、その都度変えていく。その際、失敗は、無意味ではなく、失敗を重ねることで、より理解が深まっていく。失敗を恐れて進まなければ、一向に見えてこない。
発明王のエジソンの名言として知られる、「私は失敗したことがない。ただ一万通りの〈うまくいかない方法〉を見つけただけだ」という言葉がある。一つのやり方を、信じてやってみる。しかし、うまくいかない。でも、それは、失敗ではなく、この方法は失敗するという発見でもある。
エジソンの“失敗”と成功【名言】
この考え方は、「不正解は正解を意味しない」というフベルトの言葉とも繋がっているように思う。
ただ、フベルトの言葉の場合、この異端思想に、命を賭けている。殺されるかもしれない。それでも、もし仮に間違っていたとしても、ラファウに意志と思想は繋がれる。その点では、自分一人のなかの試行錯誤の視点というよりも、いっそう深く、世代を越えて繋がれていくからこそ、「不正解でも無意味ではない」ということになる。
事実、ラファウも、この意志を受け継ぎ、異端者として囚われの身となって自殺する直前、次のように語っている。
ラファウ「敵は手ごわいですよ。あなた方が相手にしているのは僕じゃない。異端者でもない。ある種の創造力であり、好奇心であり、畢竟、それは知性だ。それは流行り病のように増殖する。宿主さえ制御不能だ。一組織が手なずけられるほど可愛げのあるものじゃない」
ノヴァク「では勝つのは君か?この選択は君の未来にとって正解だと思うのか?」
ラファウ「そりゃ、不正解でしょ。でも、不正解は無意味を意味しません」
出典 : 魚豊『チ。』
ちなみに、フベルトの「不正解は無意味を意味しない」という台詞の前、「直感に命を預けるのは愚かだ」とラファウに言われるのだが、その際、フベルトが言った言葉も、胸にくるものがあった。
「私は命を張る場面でこそ、直感を信じる」