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ソラニンで種田が死んだ理由

大学時代に読んで以来、好きになった漫画に『ソラニン』がある。作品の舞台は多摩川周辺で、映画版のロケ地も原作と同じく東京の和泉多摩川駅近くが使われている。あの辺りの商店街や多摩川沿いは、のんびり散歩するのにも、とてもよい、のどかな空間が広がっている。

そのソラニンでは、主人公でバンドマンの種田の死が、物語の重要な要素となっている。ただ、種田の死は、恋人の芽衣子やバンド仲間たちにとってもそうであったように、唐突に訪れ、一体なぜ種田が死んだのか、その理由ははっきりと描かれていない。

一見すると交通事故に見えるものの、自ら飛び込んでいったという点では、自殺のようにも見える。

種田は、死に至る過程において、まず、芽衣子の叱咤によって音楽の道にもう一度だけ挑戦してみようと決意する。そして、レコード会社にCDを送り、そのうちの一社から返事の連絡が来る。社に赴くと、アイドルのバックバンドとして音楽活動をしないか、と誘われるものの、芽衣子がきっぱりと拒絶する。

そのときの担当者は、偶然、種田の高校時代の憧れのバンドメンバーの一人だった。種田は、彼に食ってかかるものの、担当者は、「私も自分の戦場で戦っているんだ」と言い、種田のなかで何かが終わりを告げた。

その後、種田は多摩川の貸しボートの上で芽衣子に別れを切り出す。芽衣子は泣きながら怒り、種田もわれに返って仲直りをする。家に戻り、キスをすると、種田がおもむろに散歩に出る。「すぐ帰ってくるよね?」という芽衣子の問いかけに、空返事をしたまま、種田は姿を消す。

芽衣子は、風邪を引いて寝込み、夢のなかで幾度か種田と会い、一人で種田のつくった『ソラニン』を聴く。

数日後、元気そうな声で種田から電話がかかり、辞めたばかりのデザイン会社の社長に頭を下げてもう一度雇ってもらうことになった、と種田は言う。

働きながら、バンドを続ける。

これまで種田は、音楽で世界を変えられると本気で信じ、そのために真っ直ぐ歩み続けるべきだと思っていた。しかし、自分はミュージシャンになりたいのではなく、バンドがやりたかっただけじゃないか、と。「みんながいて、芽衣子がいて、きっとホントはそれだけでいいんだ」と、穏やかな表情を浮かべながら電話の向こうの芽衣子に語りかける。

そして、みんなのもとに帰る途中、バイクを走らせながら、種田は自問自答する。

俺は、幸せだ。

ホントに?

本当さ。

ホントに?

浅野いにお『ソラニン 新装版』

泣き叫びながら赤信号を飛び出し、事故で頭を打ち、種田は、高い高い空を眺めながら死を迎える。

こうした流れをみると、単なる事故ではなく、自分から死に向かって飛び込んでいったようにも思う。一方で、特定の「何か」が嫌で種田自身が積極的に自殺を選んだというのとも違うような気もする。

ほとんど全ての人が、一度は自分の夢や理想に折り合いをつけ、現実的な道を歩むことになる。かつて種田が憧れていた、レコード会社の男性のように(ただし彼はのちに再び自分の夢を見つけ、追い求める)。

仕事をしながら、趣味でバンドを続け、周りに恋人や友人もいる。

この現実が、「幸せだ」と、少なくとも、この瞬間の種田は思えなかった。「ホントに?」と問われるとはっきりした答えが出せなかった。

でも、もう答えを出さなければいけない時間が差し迫っていた。そのはざまで生じたのが、あの「赤信号を飛び出す」という行動だった。それは意識的に解答を出したものではないのかもしれない。もっと衝動的なもの。「死にたい」といった願望よりも、もっと根源的な叫びで、だから、自殺とは言い切れず、また単なる事故とも言えない。

それでは、種田の死の理由とは一体なんだったのか。

作者の浅野いにおさんは、11年ぶりに出版された、新装版の『ソラニン』のあとがきで、種田の死の理由についてコメントしている。浅野さん自身、自殺か事故か、という問いを受けてきたそうで、そのことに関して考えたくないこともあり、しばらくは煮え切らない答えを返していた。

しかし、あえて今、その理由を説明するなら、種田の死因を「願かけ」だったんだと思う、と書いている。

今まで何度か、種田の死は事故なのか自殺なのかと人から聞かれたことがあって、そのたびに自分はどっちともつかない煮え切らない答えをしていた。実のところ描いた当の僕も種田の行動の理由はあまり考えないようにしていた。というよりも考えたくなった。だって絶対にくだらない理由だから。

でもあえて今、その理由を説明するならば、種田の死因は「願かけ」だったんだと思う。「あの信号を渡り切れたら、きっといろいろうまくいく」という類の。

最後の最後に運任せだなんて本当に情けない。本当に馬鹿だ。自力で出した結果が己の全てなのに、それを受け入れなきゃ前に進めないんだよ。

今後も僕は種田を好きになれないと思う。だってもう死んでるから。

浅野いにお『ソラニン 新装版』

表現者であろうとしたら、心のうちに種田がいて、その種田の選択を乗り越えていかなければいけないのだろうと、そんな風にも思う。