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なぜ大人は時間が短いのか

子供の頃は時間が長かった。一日一日が長く、一年が濃厚だった。大人になってから、明らかに時間が短い。あっという間にも、程がある。大人は、相対的に時間が短く感じる、というレベルではないことが起きている。

時間が短いと感じるのは、刺激の数が多いからではないか、というのも、原因として大きいのではないか。それが実体験からの仮説だ。刺激といっても、割合に微細なものまで含めての、刺激だ。音楽や映像や食事やらの身体にとって刺激になるもので、いつも隙間を埋めてしまうことによって、時間が時間として過ぎずにいる。別の言い方をすれば、ストレスということも言えるかもしれない。もちろん、好きな音楽や映像や食べ物なら、むしろストレス発散になるではないかという意見もあると思う。でも、もっと根本的な意味での、身体にとっての刺激が、あまりに多様かつ多すぎる。そして、一切の隙間が埋められている。

時間という感覚は、しっかりとした隙間がないことには生まれないのではないか、と思う。時間は、過ぎている。時計の針は進み、年齢は重ね、いつのまにか老いている。ただ、時間は確かに進んでいるが、時間という感覚は積み上げていない。あるとき、なにも食べずに、YouTubeやApple Musicなどの映像や音楽でも埋めずに、ただぼんやりと空を眺めていた際、時間は本当に長かった。これが本来の時間の長さであり、密度だと思った。

資本主義において、企業は人の時間を奪い合うだけでなく、神経も削り取っている。それは結局、「時間の時間性」を削り取っていることでもあるのだと思うし、慢性的な疲労感にも繋がっている。このまま進んでいけば、人は常に疲弊し、感じる時間は極めて細く、人生そのものが、無常観的なものとは異なる次元で、全く虚しいものになると思う。

「なあ、おれはいまどうなってると思う?もう昔のようじゃないんだぞ。時代はどんどん変わるんだ。いまおれのいる向こうじゃ、まるっきり違うテンポで進んでいる。まるで悪魔みたいなテンポだ。一日でビルの一階まるごとができあがっちまって、それが毎日、次々とできていく。まったく、昔とはまるでちがう!なにもかも組織だっていて、手をひとつ動かすにも決められたとおり、いいか、ひとつのこらずきちんと決まってるんだぞ」(ミヒャエル・エンデ『モモ』)

とは言え、大まかには、その流れというのは止まれない以上、自分の生活に、少しずつ時間を取り戻していく工夫を積んでいく必要がある。ある程度までは意識的に、抜け出さないといけない。あとは、それを恐れないことだ。