ジブリの宮崎駿監督作品、『君たちはどう生きるか』。事前情報なしで観た方がいい、という理由がよく分かった。
鈴木敏夫プロデューサーが、一切の宣伝なしで見てくれ、と言ったのは、話題作りであったり、作品をそのままに楽しんでほしいという願い以外にも、そもそもそんな風に紹介するほかにないくらい、作品が、分かりやすく物語のような形になっていない、というのもあったと思う。
これまでのジブリ作品、宮崎作品とは、だいぶ毛並みが違った。描写はジブリ的な美しさに包まれながらも、その構造は、夢のなかを描いた不思議なシュルレアリスム作品を観ているような感覚になる。作品を通して観たものの、よく分からない、というのが正直な感想で、これは宮崎駿監督自身も同様のようだ。初号試写会の際に、「おそらく、訳が分からなかったことでしょう。私自身、訳が分からないところがありました」と語っている。自分の内面を深くまで掘り探りながら、その深奥の声にいざなわれるがままに描き進めたのかもしれない。
宮崎監督にとって自伝的作品だという声もある。確かに、主人公の眞人の境遇は、宮崎監督自身と似ている。アオサギ(サギ男)のモデルは鈴木プロデューサーだと、鈴木さん本人が言っている(宮崎監督は、「鈴木さんじゃないよ!」と必死に否定したそうだ)。
序盤はそんな雰囲気もあったものの、一方で、中盤以降は、現実的な自伝的要素というよりは、一気に内面の抱えていた葛藤のようなものに潜っていき、抽象度が高まる。無意識領域のような、不思議な世界に入っていく。
ただ、頭で意味は分からないにしても、美しいなと思う場面や印象に残る台詞はいくつもあり(サントラもよい)、たとえば、ワラワラと言う、もののけ姫のこだまのような、白い小さな生き物が現れる。
ワラワラ
こだまは、自然界のなかに潜む妖精のような存在だが、ワラワラは、生命がまだ生命として生まれてくる前の魂のような存在なのかもしれない。このワラワラが、これから人間の命として生まれるということで、膨らんで夜空に浮かんで飛んでいく場面がある。
眞人が、夜、トイレのために外に出たら、流れる雲のあいだから月明かりが射してくる。そして、月明かりが反射する海を眺めていたら、一匹のワラワラが現れ、ぷくっと膨らみ、小さく手を振りながら、夜空に向かっていく。それから、次々にワラワラが宙に舞う。キリコが、この現象について、「熟すと飛ぶ」と説明する。
そのときの光景が、神秘的で本当に美しかった。生命が誕生する前も、必死に生きて、熟して、生まれてきた(途中、ペリカンの大群に襲われ、食べられながらも、一部が、生命の世界に向かっていく)ということが、映像的に描かれている。
この不思議な生命の正体とは何か。ワラワラは、精子のメタファーだと、作家の池澤夏樹さんは、鈴木敏夫さんとの対談で語っていた。鈴木さんも、特段否定もしていなかった。ワラワラが上空に上がっていくときの螺旋状の形も、DNAのようで、何かそういったメタファーとしての要素も大きいのかもしれない。
上限の月の美しさ。人間となって生まれてくる精霊たちのシーンが重なる。ワラワラはメタファー、精子ですね。空に上っていくシーンが綺麗です。(池澤夏樹)
『SWITCH ジブリをめぐる冒険』
ただ、その描写を見ていると、もっと抽象的な、身体が与えられる前の魂のような印象も受けた。
いずれにせよ、『君たちはどう生きるか』は、「難しい」作品だった。それは、これまでの作品以上に、頭で構築して解釈的に回答にたどり着くような類の作品ではないからだろうし、むしろ、論理的な意味で追いかけすぎない子供たちは一体どんな風に観たのだろう、と思った。