本の言葉

養老孟司の一人称の死、二人称の死、三人称の死とは

養老孟司の一人称の死、二人称の死、三人称の死とは

解剖学者の養老孟司さんが、死について語る際に「一人称の死」「二人称の死」「三人称の死」という表現を使うことがあります。一人称の死とは、「僕」や「私」など自分自身の死です。自分の死は、実は存在しないのと一緒であると養老孟司さんは言います。自分の死を、死として実感するときには、もうその意識もありません。現代アーティストの美術家マルセル・デュシャンの墓碑銘に刻まれた、「死ぬのはいつも他人ばかり」という言葉も、同様の意味でしょう。二人称の死は、「あなた」の死です。「あなた」とは、知人や友人、家族など、親しい間柄のひとの死のことです。そして、三人称の死は、彼や彼女、今この瞬間も多くのひとが亡くなっています。日々流れる数多くの死のニュースや、交通事故の死亡者数に、その都度「死」を感じていたら、日常生活を送ることはできません。だから、我々の人生にとって普段三人称の死を生々しく意識されることもほとんどありません。一人称の死と、三人称の死は、基本的に考えても仕方がありませんが、二人称の死だけは違います。親しいひとの死は、心に深く傷を負わせるものとして存在します。養老孟司さんが、「二人称の死」、すなわち幼少期に経験した父との死別によって負った傷について、「賢人論」で語られています。

この一人称の死、二人称の死、三人称の死という概念を最初に提唱したのは、フランスの哲学者ウラジミール・ジャンケレヴィッチです。ジャンケレヴィッチは、自身の著書のなかで、「父あるいは母の死は、ほとんどわれわれの死であり、ある意味では実際にわれわれ自身の死だ」と書いていますが、それは言わば、二人称、近しい存在の死とは、ある種自分自身の死でもある、ということでしょう。近しい人物が亡くなると、自分自身がえぐられたような悲しみに襲われます。