“愛してる”の響きだけで強くなれる気がしたよ
スピッツの「チェリー」の歌詞に出てくる有名な一節、「愛してるの響きだけで強くなれる気がしたよ」。この短いフレーズには、愛と孤独、そして人間存在の本質が凝縮されています。
孤独なとき、「自分」というのは本当に心もとない存在です。社会のなかで、人間関係のなかで、自分の価値を見出せないとき、自分という存在そのものに確信が持てなくなる。無価値だと思ってしまうこともあると思います。自分がここにいる意味があるのか、そんな根本的な問いに苛まれることさえあります。
でも、誰かから「愛してる」と言われた瞬間、世界が変わります。その言葉は「あなたはここにいていい」というメッセージ——いや、それ以上に「いてほしい」という願いです。条件なしに、ただあなたがあなたであることへの承認。その実感が生きる力になり、弱さを抱えたままでも前に進める勇気を与えてくれる。
重要なのは、この歌詞が現在進行形の恋を歌っていない点です。「チェリー」は失恋ソングであり、「強くなれる気がした」という過去形の表現には、今はもうその人がいないという現実が静かに横たわっています。
ただ、この歌詞が深く心に刺さるのは、これが二人の恋が続いているときの話ではないからです。失恋ソングである「チェリー」のなかで、この言葉は、別れた後に思い出されているもの。「強くなれる気がした」という過去形。そこには、今はもうその人がいないという現実が横たわっています。
あの言葉を聞くことはもうない。あの温もりに触れることももうない。だから「気がした」と、もう過去としておぼろげになっている面もあるのかもしれません。
あれは本当だったのか、それとも一時的な幻だったのか。時間が経つにつれて、記憶さえも不確かになっていく。
けれども、ここからは、まがりくねった道を自分の足で歩いていかなければいけない。誰かに寄りかかることなく、自分の力で立ち、進んでいかなければならない。その現実は重く、時に心が折れそうになることもあるでしょう。
でも、だからといって、あの愛によってもらった強さが全く消えてしまったわけではない。かつて誰かが自分の存在を肯定してくれたという事実は、その人と別れた後も残り続けます。「あなたはここにいていい」と言ってくれた人がいたこと。その記憶は、形を変えて今も自分を支えている。
愛が与えてくれるのは、その瞬間だけの力ではないのかもしれません。一度本当に愛されたという経験は、人のなかに根を下ろし、たとえその愛が終わっても、生きる支えの一部として残っていく。それは「愛してる」という響きが、ただの音ではなく、魂に刻まれる言葉だからです。
この歌詞の優しさは、失った悲しみを歌いながらも、かつて確かにあった愛の価値を否定しないところにあるのではないでしょうか。終わってしまったからといって、あの時間が無意味になるわけではない。むしろ失った今だからこそ、あの言葉がどれほど大きな力を持っていたか、本当に理解できるのかもしれません。
