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令和ロマン「どうでもいい正解を愛するよりも面白そうなフェイクを愛せよ」

今更ながら、M-1グランプリに関する日記を書く。

M-1 グランプリは、もうずっと毎年欠かさず観ている。関西では、M-1グランプリのあとには、学校などでみんなM-1の話になるという話を関西出身者に聞いたときには、なんて羨ましい世界なんだ、と思った。関東で生まれ育ち、お笑いが好きで、M-1を毎年ずっと観てきたものの、一部のお笑いが好きな人と、少し話すくらいで、みんながM-1を観ていたり、その話題が自然と出てくる、といった体験はない。今回のM-1の世帯視聴率も、関西は30%近くで、関東は17%だったようだ。

今年のM-1は、トップバッターだった令和ロマンが、なんとかファイナルまで進み、決勝のファイナルに関しては、令和ロマンが圧倒していたように思った。笑いの量では、ヤーレンズも面白かったし、チャレンジ精神という点では、さや香のよさもあったと思う。ただ、総合的には、令和ロマンの完勝だと僕は思った。正直、ヤーレンズと僅差だったのは、ちょっと意外でもあった。

もともと好きだったコンビは真空ジェシカで、毎年応援していた。今回も着実に面白かった。「映画館」を「A画館」とし、「B画館」などアルファベットで変える大喜利漫才のようなスタイル。一つ一つ、的確に打ち落としていくように笑いをとっていく。安定して毎年笑いは取り、順位も決して悪くはない。成績は、2021年が6位、2022年が5位、2023年が5位。ただ、もう一つ上の順位で、ファイナルに進もうと思うと、きっと、真空ジェシカは真空ジェシカ自身を越えないといけない、という難しさがあるんだろうなと思う。

すでに出来上がっている自分を越えていくのは難解だ。無理をすると、一気にバランスを崩し、変なことになる。自分の形はそのままで、もう一つ上に、というのは一筋縄ではいかない。自分のスタイルは崩さずに、より深める、ということは、地道で繊細な道のりになる。

令和ロマンのネタに関しては、どちらも面白かったが、特に2本目は本当に笑った。「クッキー工場が、自動車をつくる」というネタ。1本目の少女漫画の路上でぶつかる転校生の考察ネタも、早々に会場をつかみ、勢いに乗るという点でよかった。

そのなかでも、ちょっと異色に見えたのは、1本目のネタの最後に、くるまさんが言った、「どうでもいい正解を愛するよりも面白そうなフェイクを愛せよ」という言葉だ。別に、この言葉があっても、笑いの量としては変わらないので、絶対に必要な台詞でもなく、むしろ重みも出てしまう。そう考えると、くるまさんが、どうしても混ぜ込みたかったメッセージなのかなと思う。

一般的に言えば、どうでもいい正解のほうが正しく、面白そうなフェイクに飛びつくのは、問題だ、という話になる。

でも、これは、面白そうなフェイクを正解だと思え、と言っているわけではなく、どうでもいい正解が間違いだ、と言っているわけでもない。正解は正解として理解はしていても、この世界はそれだけでは息苦しいし、現実を直視せよといった言葉もあるが、直視できない精神状態のときもある。

そんなときに、フィクションというものが、少しだけこの世界の現実から距離を置かせ、一呼吸つかせてくれることがある。場合によっては、“どうでもいい正解”以上に、“面白そうなフェイク”が、より真実を伝えてくれることもある。

全員が全員、ずっと“どうでもいい正解”に目を向けず、面白そうなフェイクを正しいと思い込み、みんなが揃って抜け出せなくなる、となったら問題かもしれないが、表現する、あるいは、表現に救われてきた自分にとっては、「面白そうなフェイクを愛する」という感覚の大切さは、わかるように思う。

この台詞は、Twitterでも、名言だと言う人もいれば、怖いと言う人もいる。確かに、どっちとも取れる言葉ではある。

でも、どうでもいい正解だけの世界、面白そうなフェイクも一切許されない世界、というのも、息苦しく、人の心はそのはざまで呼吸ができるのではないか。その正解が本当に正しいかどうかもわからないし、この世界の弾力性や柔軟性を考えると、“面白そうなフェイクを愛する”ということの重要性もある。

一瞬の世界の美しさに
騙されて  僕ら息を吸う

そして今日も誰かの嘘が
闇を照らして  夢を見させる

きのこ帝国『フェイクワールドワンダーランド』

嘘によって呼吸ができるし、嘘のなかに真実が混ざっていることもある。この世界も、心も、そんなに単純ではないと、僕は思っている。