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なぜ足が速い子がモテるのか

幼稚園や小学生など子供の頃は、男子は足が速いとモテる、といった謎の現象がある。

あれは一体なんだったのだろう、と大人になっても不思議に思う。自分の記憶を辿ってみても、確かに、幼稚園の頃は足が速い男子が女子から人気があり、バレンタインのチョコレートも多く貰っていた。

ただ、足の速さが輝くのは、幼稚園から小学校の低学年くらいまでだった。小学生も高学年くらいになると、「足が速い」という特殊な光を纏っていた要素は、次第に光が薄れ、単純に「足が速い」というだけの話になる。

そして、モテる要素としては、サッカー部やバスケ部など運動神経全般に広がっていったり、見た目や面白さもだいぶ重視されるようになっていく。

中学生になると、運動神経や面白い人、人気者の他に、ちょっとヤンキーっぽい男子がモテるようになる。規範からの逸脱や権威に従わない姿勢が刺激に映り、かっこいい、と感じるのかもしれない。

高校では、ヤンキーだけでなくバンドマンなど音楽系も強く、いよいよモテる要素というのは多様化していく(さらに大人になったら、金銭面や社会的ステータスなども加わっていくのだろう)。

地域性で言えば、関西だとお笑いの文化ゆえか、「面白い」もより大事な点になってくるようだ。関東生まれ関東育ちの自分としては、話を聞くかぎり、その辺りの捉え方が結構違うんだなというのを感じる。

もちろん、見た目や優しさ、逞しさや包容力などの基本的な要因はある程度普遍的であったとしても、どんな特徴の人がモテるか、人気があるか、というのは、世代や時代、地域によってだいぶ変化していく面もあるのだろうと思う。

特に、思春期以降というのは、モテる要素は様々な影響によって変動し、最近ではちょっと物静かだったり、草食系だったり、優しい人に安心感を覚えて好きになる人が多い、といった傾向もあるのかもしれない。

一方で、幼稚園くらいの幼い子供に関しては、どんな点に惹かれるか、というのは、あまり時代などに左右されないのではないだろうか。

そう考えると、生まれてから一番最初に他者への「好き」「魅力と感じる」「惹かれる」といった感情を意識する幼稚園の頃に、「足が速い子を好きになる」ということは、ある程度、本能的かつ根本的な面が表れていると言えるのかもしれない。

自分は男ということもあってか、足が速い子を好きになる、といった感覚を知らない。どんな感覚や心理が、そういう気持ちにさせるのだろう。

ただ、足が速いから好きになる、ということはなくても、年長くらいだったか、気づいたときには、足が速いことを「かっこいい」とは思っていた。

ほんと、どうして足が速いとカッコよかったんでしょうね。女性に聞くと、足の速い子が好きだった、って答える人が多いのですが、どの人も「理由はよくわからない」と言います。

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もしかしたら、足が速いと、運動会のリレーなどで「見せ場」があり、それゆえに惹かれる、という面もあるのかもしれない。

心理学の専門家の指摘によれば、「足が速いとモテる傾向」というのは小学校低学年までで、それは、それくらいの年齢だと、足の速さが男としての魅力という点では一番伝わりやすいから、ということと、みんなからの羨望を集めるから、ということを理由として挙げていた。

心理学者 : 一般的に、足が速くてモテるのは、小学校低学年までで終わりなんです。なぜなら、それくらいの年齢での男としての魅力は足の速さが一番伝わりやすいから。

ライター : それくらいの年齢では、勉強ができたり、絵がうまかったり、楽器が得意とかって個人差があまりないから魅力に気付きにくいですよね。それに比べて、足が速いっていうのは、周りとの差異がわかりやすいからモテるんですね。

心理学者 : それに、みんなから羨望を集めているというところに魅力も感じていたんじゃないかと。

ライター : なるほど! 運動会がまさにそうですね。足の速い子はみんなから応援も期待もされていて、ヒーローのような存在でした。

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だとすると、たとえば、幼稚園で駆けっこはしない、という場所では、足の速さの代わりに、注目を浴びる別の要素がモテる対象として見られるのだろうか。

あるいは、江戸時代であったり、それよりも遥か昔の日本、また海外ではどうなのだろう。

欧米だけでなく、様々な国や地域によって、幼い子が最初に他者を好きになる際の特徴やモテる対象というのは、全く異なるものなのだろうか。

自分自身を振り返ってみると、子供の頃に女の子を好きになったときというのは、素朴に、可愛いなと思った子や、自分のことを好きになってくれたり優しくしてくれた子だったような気がする。

子供の頃の男子にとっての「足が速いとモテる」といった話のようなものは、女子には特になかったように思う。

足が速い女子もいたが、その子が特にモテるといったこともなかった。少なくとも、僕の通っていた幼稚園では、女子にとっては「足が速い」はモテる要因にはなっていなかった(ただ、足が速い女子がモテるというより、足の速いような活発な子がモテる、ということはあった、という話も聞く)。

そもそも、男の子のほうが幼いと言われるが、そのことと関係するのか、「好き」という感情自体も、しばらくずっとふわふわして曖昧だった。

でも、「可愛い子」「優しい子」が人気というのは、それほど突飛な話でもなく、基本的にはずっと変わらない気がする。

果たして、子供の頃に足が速い男の子がモテるというのは、身体的な強さを魅力として捉える本能的な面が大きいのか。もしくは、運動会など披露する場面があって注目を浴びるからといった社会的につくられていった面が大きいのか。

個人的な体感から言えば、幼稚園時代に、足が速い友だちに対し、「かっこいい」「負けたくない」と思ったのは、そのことによって注目を集めているから、というよりは、単純に、「足が速い(言い換えれば、身体的な強さ)」ということそのものへの憧れや欲求があったような気がする。

あるいは、足が速いような、身体的にも強く、元気な子というのは、なにか根幹から「生きている」というキラキラした見えないオーラのようなものがあり、その生命力に対し、自然と惹かれる、ということもあるのだろうか。

とは言え、自分が幼稚園の頃に一番足が速くてモテた子が、その後、ずっと活動的だったかと言うと、小学校、中学校と上がっていくにつれ、大人しくなり、特別モテるということもなくなっていった。

子供の頃に足が速いとモテる、というのは、今でも理由のわからない、人間の不思議の一つだ。