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オードリー若林のキューバ、モンゴル、アイスランド旅を綴った本

本を読むきっかけは、ドラマ『だが、情熱はある』

オードリーの若林さんが、キューバ、モンゴル、アイスランドなど海外を旅し、その様子を綴った紀行文『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』(文庫本)がある。

第3回斎藤茂太賞受賞! 選考委員の椎名誠氏に「新しい旅文学の誕生」と絶賛された名作紀行文。

飛行機の空席は残り1席――芸人として多忙を極める著者は、5日間の夏休み、何かに背中を押されるように一人キューバへと旅立った。クラシックカーの排ガス、革命、ヘミングウェイ、青いカリブ海……「日本と逆のシステム」の国の風景と、そこに生きる人々との交流に心ほぐされた頃、隠された旅の目的が明らかに――落涙必至のベストセラー紀行文。特別書下ろし3編「モンゴル」「アイスランド」「コロナ後の東京」収録。解説・Creepy Nuts DJ松永

オードリー若林、楽園キューバへ逃亡|文春文庫

もともとオードリーが好きで、特に意識するようになったのはオードリーのラジオ「オールナイトニッポン」を聴くようになってからだった。ANN自体は、10代の頃によく聴いていた。不登校で半分ひきこもりのような生活を送っていたこともあり、当時はまだネットもそれほど浸透していなかったことから、夜はよく部屋で一人ラジオを聴きながら過ごした。ただ、その後、大学に進学し、日々に余裕がなくなってからは、しばらく深夜ラジオを聴くことからも遠ざかった。もう一度聴くようになったのが、いつからなのかはよく覚えていない。気づいたら、オードリー、霜降り明星、三四郎のオールナイトニッポンなどを聴くようになっていた。

オードリーのラジオリスナーのことを「リトルトゥース」と呼ぶ。リトルトゥースというのは、春日さんの持ちギャグの「トゥース」に絡め、レディー・ガガがファンのことを「リトルモンスター」と呼んでいたことに由来する。僕は、あまり熱狂的なファンと自信を持って言えるほどではなく、自分がリトルトゥースかどうかと言われると、はっきりそうだとは言い難い面もある。本気のリトルトゥースに申し訳ないような気がしてくる。ただ、僕はオードリーのラジオが好きでほとんど毎週聴いている。また、今はテレビ番組もあまり観ないが、『あちこちオードリー』は、数少ない欠かさずに観ている番組の一つでもある。最近は、YouTubeで始まった東京ドームライブ専用のチャンネルも楽しみにしている。

一方で、若林さんの出してきたエッセイなどの本は、特にこれまで読んだことがなかった。テレビにはテレビの若林さんがいる。ラジオにはラジオの若林さんがいる。同じように、本には本の若林さんがいるのだろうし、その内容はきっとより身近なはずで、そこまでは近づかないほうがいいような気がした。少し遠めでオードリーを楽しんでいる、というくらいがちょうどいいのではないかと思っていたのだ。

ところが、それから急激に、若林さんの書いた本に興味を持ったきっかけがあった。それが、ドラマ『だが、情熱はある』だった。久しぶりに、本当に久しぶりに、ドラマをこんなに毎週欠かさず観たし、それこそちゃんと観たように思う。体調のこともあって疲れるので、基本的にはあまり何かを継続して追いかけることもないものの、このドラマに関しては、惹きつけられるように興味関心がずっと途切れなかった。

このドラマを簡単に説明すると、オードリーの若林さんと、南海キャンディーズの山里さんが、それぞれの思春期や、芸人の下積み時代を経て、「たりないふたり」というライブを通して出会うという青春ドラマだ。特に、若林さんが売れていない時代に、全く評価されず、もがいているシーンや、随所で認めてくれる人が現れる場面などは感情移入して号泣した。不安を抱えながら、表現で曝け出し、認めてもらえる、というのは、「許し」であり、まぎれもなく「救い」なのだと思う。大袈裟ではなく、『だが、情熱はある』で僕は毎週のように泣いていた。観ていると、このドラマの制作陣が、本当にお笑いが好きで、オードリーや南海キャンディーズが好きなんだろうな、という愛情が伝わってきた。ラジオでも、オードリーの二人が、ドラマの設定において相当細部まで調べてあることに驚いていた。そして、全く違和感なく、ものまねっぽさがあるわけでもなく、完璧にその世界の中の若林さんと山里さんとして生きていた、主演の髙橋海人くんと森本慎太郎くんの演技も凄かった。

【だが、情熱はある】5分でわかる!第1話ダイジェスト!

フィクションも混じっているようだが、ドラマの細部までリアリティーがあり、このドラマをきっかけにして、実際はどうだったのか、もう少し色々と知りたいなと思ったことから、若林さんの本を読むようになった、というわけだ。

 

表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬

最初に読んだ若林さんの本が、エッセイ集の『ナナメの夕暮れ』。次に『完全版 社会人大学人見知り学部 卒業見込』。そして、最近、『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』を読み終えた。この本は、エッセイ集というより、旅の様子を描いた紀行文だ。若林さんがずっと行ってみたかったというキューバと、文庫本化に当たって書き下ろしとして加わったモンゴル、アイスランドという、いわゆる王道の旅先ではない3カ国を旅したときの様子が綴られている。

なぜこういった国々を選んだかと言ったら、若林さんが、日本や資本主義社会で疑問に思っていたことが、出発点となっている。アメリカ、そしてアメリカ発の価値観に覆われている世界とは、少し違った世界を覗いてみたくなったようだ。それゆえに、粋な演出として、この本の冒頭は、ニューヨークで始まる。仕事でニューヨークに行った際に浮かんだ疑問、「やりがいのある仕事をして、手に入れたお金で人生を楽しみましょう!」という価値観。新自由主義的世界。船が、自由の女神の目の前で止まり、見上げながらため息をつく。そんなニューヨークでの情景が冒頭に挟まれ、その後、新自由主義的世界の対極にある、社会主義の国キューバの旅の様子が始まる。

まず、純粋に、見慣れぬ国で、普段バラエティや映画でも観ることは少ないので、旅先の光景や住人たちの雰囲気が新鮮で面白かった。もちろん、その空間に若林さんがいること、若林さんが感じることも興味深い。でも、そもそもキューバやモンゴルやアイスランドという知らない世界の面白さもある。日本とは全く違った価値観がある。文化や伝統がある。その新鮮さや豊かさが、まさに若林さんが感じたかったことであり、実際に感じたことであり、それが追体験できるように丁寧に描かれている。

 

キューバ

たとえば、僕が驚いたのは、キューバの闘鶏場だ。

文字通り、鶏を決闘させる場所で、キューバでは、海外旅行者がまず訪れることはないディープな場所であり、若林さん自身、観光地ではなくディープな場所に行きたいと希望したことから、この場所に行くことになった。闘鶏場は、キューバの人々にとっての娯楽施設で、建物のなかには、男たちの歓声と怒声が響き渡っている。熱気がすごく、真ん中では二羽の軍鶏が闘い、至る所に血の染みがある。文明とは対極にあるような、荒々しい世界がそこにはある。でも、これもまた一つの文化なのだ。日本でも、相当古くからあったようだが、今は禁止になっていることも多いようで、現状、実態がどうなっているのかはよく分からない。

ところで、タイトルの由来になっている、「カバーニャ要塞の野良犬」とは何か。カバーニャ要塞とは、首都ハバナにある大きな要塞で、1763年に建造された。この要塞からの眺めが最高に素晴らしかったようだ。そして、カバーニャ要塞で若林さんが一番記憶に残っているのが、一匹の野良犬だったと言う。野良犬は、死んだように寝そべっている。薄汚れている。でも、なぜか気高い印象がある。その辺りでは、野良犬が多く、通りすがりの観光客から餌をもらっている。表参道のセレブな犬よりも、このカバーニャ要塞の野良犬たちのほうが、手厚い保護がなく、汚れていても、よっぽど可愛く、そして自由に見えた。表参道のセレブ犬と、カバーニャ要塞の野良犬。この対比が、タイトルの由来となっている。

 

モンゴル

モンゴルの様子も面白かった。モンゴルには、「13世紀村」という観光スポットがあるようだ。

13世紀村は、チンギスハーンの時代のモンゴル帝国の暮らしを再現したテーマパークであり、この村には、王侯貴族の村、シャーマン村、職人村、警備村、文化村、遊牧民村があると言う。当時の料理も食べられる。本を読みながら、日本でも、こういう風にかつての時代の暮らしが再現され、体験できるテーマパークを、無人島などで始めたら面白いんじゃないか、などと思う。入り口付近にある物見櫓から、13世紀村を眺めながら、若林さんは、分業と集団のなかの役割について考えた。集団が大きくなりすぎたり、文明によって便利になりすぎると、自分が社会集団で必要とされている実感が抱きづらくなるのではないか、と。それから、心のよりどころとなる居場所を作ろう、と若林さんは決心する。

ぼくは、物見櫓から13世紀村を眺めて絶対仕事先以外にも所属する集団を作ろうと決心した。

具体的に言うと、金やフォロワー数のような数字に表されるようなものではない揺るがない心の居場所を作りたいと思った。

そういう居場所を複数持っていれば、一つの村に必要とされなくなったときに他の居場所が救いになるからだ。

この先で、芸能の世界から必要とされなくなった時にぼくは絶対に所属欲求の危機など感じてやらない。

若林正恭『表参道のセレブ犬とカバーニャ要塞の野良犬』

13世紀村のあとは、現在モンゴルで遊牧民の暮らしをしている家族を訪問した。ゲルに住んでいる家族のもとでお世話になる。ゲルの横には、発電機のモーターがあり、ゲルのなかには、ベッドが3つ、テレビが1台、それから冷蔵庫に洗面台と、近代的な生活と調和しているようだった。このお世話になった家族のもとで、若林さんは、共同生活というものへの魅力や家族という存在について改めて考えるようになった(この頃は、まだ若林さんは独身だった)。

 

アイスランド

この本の主はキューバやモンゴルという感じで、アイスランド編は結構な駆け足で進んだ。

特に序盤は、ツアーの参加者がみんな日本人だった、というイレギュラーな事態から(のちにみんなロンドン在住の日本人だということが判明する)、どうすればこの環境で人と話せるのかという、さながら入学式の友達作りのような緊張感があり、その葛藤が中心になる。しかし、誰かが話してくれたことをきっかけに、〈若林に話しかけてもよい〉という空気感が作られたためか、ぽつぽつと話しかけられ、若林さんも、あっという間に仲間に溶け込んでいった。

若林さんが、なぜアイスランドに行きたかったかと言うと、目的は「花火」だった。アイスランドでは、年越しにものすごい花火が上がる。花火と言っても、一ヶ所で打ち上げ花火が行われるわけではなく、首都レイキャビックで、市民たちが一斉に花火を打ち上げる。それが、ものすごい光景だと言う。若林さんは、30代の半ば頃、効果的なストレス発散法を自分なりに試行錯誤し、そのときに一番だったのが花火だった。花火が許されている海に後輩を連れて向かう。一万円分くらいの花火を購入し、海で打ち上げまくる。それが本当にすかっとした気分になり、花火について色々と調べているうちに、このアイスランドの年越しカウントダウン花火の情報に出会う。そして、その花火の動画を見たときに、あまりのクレイジーさに驚き、こんなことが許される国を一度見てみたいと興味が湧いたそうだ。

実際にどんな様子か、このアイスランドの年越し花火をYouTubeで探してみた。確かに、すごい光景だ。市民たちが、花火と想いをため込んで、ここぞとばかりに思いっきり打ち上げているのだろう。

Happy New Year 2017 Reykjavík

僕は、正直、静かに除夜の鐘を聴いているほうがいいと思っている(レイキャビックの住人にも、そういう人はいるのではないだろうか)タイプだが、それにしても、笑ってしまうくらいに壮観だ。この花火の際、ガイドさんは、「自分の身は自分で守るように」と何度も繰り返し、また、「アイスランドの人は、周りに人がいようがいなかろうが花火を上げるので、勝手に歩き回らないように注意してください」と言った。日本では、何かあったらどうするのか、という縛りが段々と厳しくなっているなかで、これはこれで清々しく、面白いなと思う。

 

終わりに

キューバ、モンゴル、アイスランド、それぞれのユニークさがある。また、若林さん自身が問題意識を持って旅に出ていることから、その旅によって考えたことも明確に言語化され、その上で、必ずしも何かを手放しで礼賛もしていないバランス感覚がよかった。本のなかでは、息苦しい世の中で、悩み、考えながら、若林さんなりに出した回答が、はっきりと描かれていた。こういった紀行文を読むと、正直、僕自身はもうこの人生で海外旅行はできないと思っていたし、夢に見るだけ虚しくなるから、最初から視界の外に置いていたものの、ほんの少し、「いつか」を夢見たくもなった。