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カネコアヤノと相対性理論のカセットテープ

先日、カセットテープを二つ購入した。最近の曲があまりカセットテープでリリースされていないこともあり、たまたま中古のカセットやリリースの情報が目に入り、欲しいな、と思ったミュージシャンの曲は、つい買いたくなる衝動に駆られる。購入したカセットテープのうち、一つは、カネコアヤノさんの『よすが ひとりでに』という弾き語りのアルバムだ。理想を言えば、『燦々』のほうが欲しかった、という想いはある。特に、『わたしは光をにぎっている』という2019年公開の映画の主題歌になっていた『光の方へ』は映画の雰囲気も含めて好きな曲で、『燦々』に収録されていることから、こちらのカセットテープが聴きたかった。ただ、『燦々』のカセットテープは、他の多くのカセットテープと同様に限定販売だったらしく、今は新品では手に入らないみたいだ。中古では、だいぶ値段が高くなっているので、ちょっと購入をためらっている。

今回買った『よすが』のほうは、今も新品で発売され、定価で買えることから、一つだけでもカネコアヤノさんのカセットテープを持っておきたいと思って「カネコ商店」で購入した。そんなにがっつりとファンというわけではないので、この公式ショップは初めて使った。カネコ商店、という名前が可愛い。グッズとして売っていたTシャツもおしゃれだった。購入後、しばらくしてカセットテープが到着した。カネコアヤノさんの叫びのような声やギターの演奏は、アナログの雰囲気と合うだろうなと思っていたから買ってよかった。

カネコアヤノ『よすが ひとりでに』

それから、もう一つは、相対性理論の『天声ジングル』のカセットテープだ。2016年リリースなので、結構前のものになる。相対性理論は、初期の頃から好きなバンドの一人で、特に学生時代はよく聴いていた。不思議な世界観の声や曲調で、何度聴いても飽きない。『LOVEずっきゅん』や『テレ東』などを夢のなかを漂っているような心地で延々流していることもあった。田舎に生まれ育って、大学進学のために東京に上京して、その頃に聴いていた曲だから、機械的な曲調も相まって、いっそう都会的な曲という印象がある。

都会の印象があるのに、その歌声や曲調ゆえに、不思議と懐かしさもある。歌詞のなかでは、言葉が、もともと持っている「意味」から剥がれつつあり、よりリズムが強調されている。ダダイズムの詩みたいだな、と思う。相対性理論の曲を聴いているときは、ほとんど歌詞を追いかけていない。でも、ちゃんと言葉が切なく響く。詩人の中原中也が、ダダイズムに影響を受けたときの頃の詩を思い出す。

トタンがセンベイ食べて
春の日の夕暮れは穏やかです
アンダースローされた灰が蒼ざめて
春の日の夕暮れは静かです

中原中也『春の日の夕暮』

これは「春の日の夕暮」という詩の一節だ。誰かが曲をつけてもいいくらい、言葉が意味を離れ、リズムだけでも充分な切なさを帯びている。相対性理論の曲も、言葉が、意味よりも音としての存在感を発揮しながら、同時に、無機質で冷たい印象にもならない、というのが、特徴であり、魅力のように思う。最近は、こんな風にしてカネコアヤノさんと相対性理論を繰り返し、ガチャガチャと音を立ててカセットテープを入れ替えながら聴いている。

夏が終わり、すっかり秋の風が吹くようになった。秋の風は、夏に吹く涼しい風とは違う。涼しいというよりも、冷たい、その冷たさが、内側に染み渡って空っぽが刺激され、切なさになる。寂しげな音楽や本が、いっそう深く染みる季節になっていく。