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給食や外食が怖いという心理

会食恐怖症とは

食事と言うと、空腹を満たすことだけでなく、体の健康のためや、純粋に美味しいものを食べたい、といった欲求、また、料理をつくったり手料理を食べてもらう喜びなど、様々な側面がある。その食事の要素の一つに、人との「コミュニケーション」を深める、ということも含まれる。友人や恋人、家族と一緒にご飯を食べる。家やレストラン、旅行先の旅館など、色々な場所で会食が行われ、デートでも、「まずは食事でも」という場合も多い。食事とは、単に「食べる」ということを超えた、重要なコミュニケーションツールの一環でもある。

でも、この誰かと一緒にご飯を食べること、人前で食事をすること、外食にせよ、給食にせよ、広い意味で「会食」が怖い、という人もいる。これは、「会食恐怖症」とも呼ばれ、社会不安障害に分類されるなど、場合によっては心理的なケアも必要とされる。会食恐怖症とは、人と一緒に食事をすることに極度の緊張や不安、恐怖を覚え、吐き気などの体調不良を引き起こす、という症状で、たとえば、学校では給食の時間がとても苦痛だという子供も少なくない。

当事者らを支援する一般社団法人「日本会食恐怖症克服支援協会」の山口健太代表は「患者の統計などはないが、二〇一八年以降は毎年、千件程度の相談が協会に寄せられている」と話す。

「会食恐怖症」分かって 給食時も別室で弁当、精神科医「サポート必要」|中日新聞

会食恐怖症ゆえに、給食が辛く、子供の場合は、不登校に繋がることもあるだろうし、大人になったら、飲み会への不参加やデートなど、社会的なコミュニケーションの際に色々と支障をきたすことも多くなる。とは言え、大人の場合はまだ、寂しさはあるかもしれないにしても、常に一人で食事をとるようにするなど避ける方法もある。一方、学校で、ある意味では強制的に皆と一緒に食事をしなければいけない給食は、精神的に給食が食べられない、会食が怖い子供にとっては、地獄の時間になる。

僕自身、中学生くらいの頃から、人と食事をするのが苦手になり、給食はあまり食べられないし、給食の時間が怖い、という感覚が強かった。もともと、自律神経的にも体調が揺れやすく、そういった体の事情もあり、食べたら具合が悪くなるんじゃないかと不安になる。その不安によって、結局余計に体調も悪くなり、ますます給食の時間が辛くなる。僕の場合は、給食だけが直接の理由というわけではなかったものの、早退も増え、不登校にもなった。大学生や大人になってからも、緊張や不安で食欲がなくなったり、体調が悪くなって早めに帰ることもあり、外食でみんなと一緒に食べる機会というのは、あまり参加しないようにしていた。特に、かしこまった場所や、それほど馴染みのない人たちとの少人数での会食というのが苦手だった。

それでは、一体なぜ会食恐怖症になってしまうのだろうか。原因としては、たとえば、小学生の頃の給食の際に、全部残さずちゃんと食べなさいといった強要が、ストレスになって発症してしまうこともある。また、食事をして吐いてしまったなどの過去のトラウマから、再び食べて気持ち悪くなったらどうしよう、という「予期不安」の心理に繋がり、嘔吐恐怖症ゆえに会食恐怖症に陥ることもある。

「私も一緒。空腹で挑んでも外食は吐き気がして無理です」。広島県安芸郡の女子学生(22)はラインにつづった。きっかけは保育所と小学校の完食指導。「絶対に残してはいけない雰囲気で地獄だった」と振り返る。今も食事中は相手に分からないよう、膝にこっそりティッシュを広げ、食べられない物を包む。残したり捨てたりという罪悪感から「自己肯定感は地に落ちています」と打ち明ける。

給食の完食指導、心に傷 「会食恐怖症」に反響

いずれにせよ、人と一緒に食事をする、ということで強いストレスがかかり、不安や緊張など精神的な原因から、身体症状が出ることになる。症状や恐怖の度合いは、相手や場所、そのときの体調によっても違いはあるものの、会食恐怖症ではこんな症状が現れると言われている。

会食恐怖症の主な症状

吐き気、めまい、胃痛、動悸、食べ物が飲み込めない、口の乾き、発汗、顔面蒼白、体(主に首や手足)の震え、空気を飲み込んでお腹が張る、黙り込んでしまう

いずれの場合も、極度の精神的ストレスによって生じる症状だと思う。また、基本的には、「食べることそのものが怖い」というのではなく、人と一緒に食事をする、見られている、ということが強いストレスになるので、外食自体が怖い、という人もいれば、一人だったら外食は平気という人もいる。

僕も、外食でも、割と一人で食べるぶんには、具合が悪くなったらすぐに帰ればいいや、というくらいの感覚もあり、精神的にも多少落ち着いた状態で行くことができたので、ラーメン屋やカレー屋、カフェなどに一人で外食に行くことは結構あった(それでも家が一番安心だった)。一方で、外食でも、途中で帰ることが気まずくなるような空間、シェフとの距離が近いような場所なら、とても無理だったと思う。これは、もし体調が辛くなっても、「簡単には逃げられない」という縛りが精神的に恐怖心に繋がっているからで、僕にとって会食恐怖は、「抜けられない空間」への恐怖でもあった。また、会食でも、気心知れた大学の同級生や幼なじみで家での食事会や飲み会、いつ帰ってもいい、いつその空間から抜け出してもいい、なんなら食べなくてもいい、という気軽な自由が保障されている場合は、それほどの強い恐怖心はなかった。だから、僕にとっての外食が怖い、会食が怖い、給食が怖いといった心理状態は、言ってみれば、「精神的な閉所恐怖症」というニュアンスに近いのかもしれない。

そのため、必ずしも食事を伴わなくても、途中で体調が悪くなっても抜け出せないような状況自体が、ストレスになり、極度の緊張や不安、恐怖心に繋がる。緊張や不安で、胃腸の調子が悪くなり、その状態で食べると、余計に具合が悪くなる。この経験のために、また悪化するんじゃないか、という予期不安がどんどん重なり、いっそう悪化する、という悪循環に見舞われる。他人との食事が怖いというのは、冒頭でも触れたように、会食が人とのコミュニケーションの基本でもあることから、正直、寂しい、孤独、というものにも繋がってくる。

ちょっと話は逸れるが、最近、漫画のワンピースを読んでいて、海賊たちが主人公の物語ということもあり、みんなが宴で大盛り上がりしながら食事をしているシーンが出てくる。ああいう光景を見ると羨ましくなる。僕も、会食や飲み会が、全く経験がないわけでもないものの、それでも、常に不安や緊張は隣り合わせにあったから、純粋に「楽しむ」というのはなかなか難しかった。また、それほど盛大ではなくても、たとえばデートで恋人と一緒に綺麗な景色の見える場所でご飯を食べる、といったことなどが自然体でできる、ということには憧れがある。

 

克服のために

会食恐怖症の克服のためには、まず安心できる相手や場所から、少しずつ慣れていくことが大切だと言われている。具合が悪くなったら、いつでも席を立っていいし、帰っていいからね、という人と一緒に、家や、気楽な場所、あまり重くない食べ物からなど、自分の一番リラックスできる環境で慣らしていくこと。

実際に当事者の方が言われて嬉しかったとよく聞くのが「一緒に練習しに行こう」という言葉。僕自身も大学時代のバイト先で会食恐怖症のことを告げたら、「まかないを練習だと思って」と言われて楽になりました。

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安心感が、なによりも大切になる。綱渡りのような心理状態なので、「絶対に大丈夫」という安心のためには、万一その綱から落ちても、色々なセーフティネットがある、ということの存在が大きい。いつでも帰っていいんだよ、抜けても別に気にしないよ、という包み込んでくれる理解や安心が、克服に当たっては支えになる。それから、会食が怖い、ということで自分を責めないこと。食べきれなかったとしても罪悪感を抱かなくてもいい、食べられるぶんだけ食べたらいい、といった形で、周りの理解も必要になる。特に、二人きりだったり、誰かの手料理だったり、という場合には、相手の理解は不可欠になる。

給食に関しても、無理して食べる必要はないし、先生や親も、「食べないこと」を咎めない、というのも大事だと思う。給食が辛くて不登校になることもあるし、過剰なストレスで余計に心身の調子を崩すこともある。それなら、むしろ給食なしでもなるべくストレスなく学校に行けたほうがいいし、そもそもの話、「学校に必ず行かなければいけない」と自分で自分を苦しめることもない(過度な緊張が継続した状態で頑張り続けた結果、いっそうこじらせてしまうこともある)。

休むときは休んだほうがいいし、焦らず、長い目で見ること。それから、ストレスによって体調や精神面で影響を受けるということは、自律神経の問題もあるので、日々の生活を整える、というのも重要になる。食事療法や運動、睡眠、また、ヨガや呼吸法など、様々な側面から、心身を整えていくことも大事な要素と言える。外食が怖い、人との食事が怖い、ということだと、コミュニケーションの場が一つ塞がるので、孤独感も深まる。みんなと食事に行く、旅行に行く、というときに、自分だけが不参加、ということもある。それは確かに寂しい。

会食恐怖症が治ったら、もちろん喜ばしいことだし、そのための工夫は全然よいと思う(特に日頃から体調を整える習慣は、決して無駄にはならない)。ただ、同時に、あまり、人と一緒に食べられないこと自体を気にし過ぎない、というのも必要なことだと個人的には思う。一人で食べられるなら、一人を楽しめばいいし、家で平気なら、家を楽しめばいい。自分が、「これがない」と考え過ぎず、「これはある」と考えることも、心の健康を保つために、必要なことではないかと思う。