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秋の黄色い蝶々

蝶々というのは、なんとなく春から夏にかけての生き物という印象があった。寒い冬を越え、春の訪れとともに羽化し、蝶々たちが、お花畑を飛び回っている。俳句の季語としても、「蝶」だけの場合は、春の季語に当たる。蝶は、その色合いからも、春や夏が似合う。

しかし、僕がよく行く公園では、すっかり季節も秋で、もう10月も終わりだというのに、未だに蝶々が舞っている。行くたびに一羽の黄色い蝶々が、公園の広場を、ゆらゆらと漂っている。だいたい一羽で、決まって黄色い蝶々だ。

秋も深まり、外はだいぶ寒さも、寂しさも出てきている。木々の葉もちょっとずつ色づいてきている。日中の日差しはまだまだ暖かいので、蝶々としても、それほど気にはならないのだろうか。

とは言え、僕ももう薄手のニットを着ている。それでも、蝶々は、まるで日常のように飄々と飛んでいる。

舞っているのは、黄色い蝶々のモンキチョウ。モンシロチョウはほとんど見ない。アゲハチョウはときどき見る。

日本全土にふつうに見られるチョウ。南西部では第1化の春型は3〜4月,第2化の夏型は5月下旬〜6月にあらわれ,その後,連続的に発生して秋おそくまで見られる。幼虫で越冬する。川原・土手・畑地・高原など,日あたりのよい草地をすばやく飛び,いろいろな草花にくる。

モンキチョウ【〈紋黄蝶〉】

モンキチョウの解説を見ると、秋の遅くまで見られるとあり、秋も全然飛んでいて不思議ではない季節なんだなぁと思いながら、今朝も一羽の蝶々を眺めていた。ゆらゆらと舞っている。

僕がしゃがんで眺めていると、ときおり近寄ってきて、また遠ざかっていく。誰もいない小さな公園内を、はらはらと、あっちからこっちへ舞いながら移動している。眺めていると、ほっとする。

しばらくして、その黄色い蝶々は、ベンチでお菓子を食べている親子の周りも飛んでいた。子供はあまり意に介さずに、ちらっと目で追いかけたあと、手に持っているお菓子のほうに意識を戻した。

飛んでいる様子が、いつも一羽だけの黄色い蝶だから、きっと同じ蝶なんだろうな、と勝手に思っている。

でも、モンキチョウの成虫の寿命は、10日〜20日ほどのようだから、同じように見えても、もしかしたら、途中で世代交代があったのかもしれない。

ちなみに、「蝶」単独だと、春の季語だと言ったが、「夏の蝶」「秋の蝶」といった表現もあるようだ。

秋の蝶

立秋を過ぎてから見かける蝶のこと。春や夏の蝶に比べるといくらか弱々しい印象を受ける。冬が近くなるとその数もめっきり少なくなる。

【例句】

薬園の花にかりねや秋の蝶
支考「梟日記」

山中や何をたのみに秋の蝶
蝶夢「三夜の月の記」

あきの蝶日の有るうちに消えうせる
暁台「暁台日記」

しらじらと羽に日のさすや秋の蝶
青蘿「青蘿発句集」

きごさい|歳時記

なるほど、「秋の蝶」というのは、ちょっと弱々しさも表現されるのか。言われてみると、周囲の木々の葉もそうだけれど、春のような活き活きとした雰囲気はないかもしれない。

最近になって、あまりにも黄色い蝶々ばかり目にするから(向こうからしたら、いつも同じ人間がやってくる、と思っているかもしれない)、何かスピリチュアル的な意味でもあるのかな、と調べてみたら、金運や仕事運、健康運などの上昇といった、ポジティブな象徴として捉えられていた。

蝶自体は、死のイメージもあり、ちょっと不吉な印象もあったので、健康運の上昇なら、よかった。

占いやスピリチュアルの世界に、普段からそれほど高い興味があるわけではない(占いも基本的に見ない)ものの、なんだか不思議なほどに黄色い蝶々と出会うので、いい意味なら、それはそれで悪い気もしない。

色々と、よい方向に向かっていったらいいなと思いながら、今日も、黄色い蝶々をぼんやりと眺めている。