蝶々は、春から夏にかけての生き物、という印象があった。
寒い冬を越え、春の訪れとともに羽化し、蝶々たちが、お花畑を飛び回っている。俳句の季語としても、「蝶」だけの場合は、春の季語に当たる。蝶は、その色合いからも、春や夏が似合う。
しかし、僕がよく行く公園では、すっかり季節も秋で、もう10月も終わりだというのに、未だに蝶々が舞っていた。公園に行くたびに一羽の黄色い蝶々が、ゆらゆらと漂っている。だいたい一羽で、決まって黄色い蝶々だ。
秋も深まり、外はだいぶ寒さも、寂しさも出ている。木々の葉もちょっとずつ色づいてきている。日中の日差しはまだ多少は暖かさも残るので、蝶々としても、それほど気にはならないのだろうか。とは言え、僕ももう薄手のニットを着ている。それでも、蝶々は、まるで日常のように飄々と飛んでいる。
舞っているのは、黄色い蝶々のモンキチョウ。この季節、モンシロチョウはほとんど見ない。アゲハチョウはときどき見る。
モンキチョウについて調べると、春や夏だけでなく、秋の遅くまで見られるとあり、秋も全然飛んでいて不思議ではない季節なんだなと思いながら、今朝も一羽の蝶々を眺めていた。相変わらず、ゆらゆらと舞っていた。
僕がしゃがんで眺めていると、ときおり近寄ってきて、また遠ざかっていった。誰もいない小さな公園内を、はらはらと、あっちからこっちへ舞いながら移動していた。蝶々は、眺めていると、自然とほっとしてくる。
しばらくして、その黄色い蝶々は、離れたベンチでお菓子を食べている親子の周りも飛んでいた。子供は蝶々のことをあまり意に介さず、ちらっと目で追いかけたあと、手に持っているお菓子のほうに意識を戻した。
公園で見るとき、いつも一羽だけの黄色い蝶だから、あれはきっと同じ蝶なんだろうな、と勝手に思っていた。
でも、モンキチョウの成虫の寿命は、10日〜20日ほどのようだから、同じように見えても、もしかしたら、途中で世代交代があったのかもしれない。
ちなみに、「蝶」単独だと、春の季語だと言ったが、「夏の蝶」「秋の蝶」といった表現もあるようだ。
秋の蝶
立秋を過ぎてから見かける蝶のこと。春や夏の蝶に比べるといくらか弱々しい印象を受ける。冬が近くなるとその数もめっきり少なくなる。
【例句】
薬園の花にかりねや秋の蝶
支考「梟日記」山中や何をたのみに秋の蝶
蝶夢「三夜の月の記」あきの蝶日の有るうちに消えうせる
暁台「暁台日記」しらじらと羽に日のさすや秋の蝶
青蘿「青蘿発句集」
なるほど。「秋の蝶」は、ちょっと弱々しさも表現されるのか。言われてみると、周囲の木々の葉も然り、春のような活き活きとした雰囲気はないかもしれない。
最近になって、あまりにも黄色い蝶々ばかり目にするから(向こうからしたら、いつも同じ人間がやってくる、と思っているかもしれない)、何かスピリチュアル的な意味でもあるのかな、と調べてみたら、金運や仕事運、健康運などの上昇といった、ポジティブな象徴として捉えられていた。
蝶自体は、死のイメージもあり、ちょっと不吉な印象もあったので、健康運の上昇なら、よかった。
占いやスピリチュアルの世界に、普段からそれほど興味があるわけではないものの、不思議なほどに黄色い蝶々と出会うので、いい意味なら、それはそれで悪い気もしないなと思う。
色々と、よい方向に向かっていったらいいなと思いながら、今日も、黄色い蝶々をぼんやりと眺めている。