気づいたら、9月になっていた。ようやくちょっと夜は涼しくなり、秋っぽくなってきた。外では秋の虫たちも鳴いている。とは言え、日中はまだまだ暑い。この夏は蝉が少ない、という話をちらほらと聞く。確かに、言われてみれば結構少なかったように思う。
先日、羽海野チカさんの漫画『3月のライオン』最新刊の17巻を買った。もともと予約してあり、発売日に届き、ぽつぽつと読み始めた。
表紙の絵は、今よりも子供の頃と思われる桐山と二階堂が、無邪気に笑っている。3月のライオンは、単行本で読んでいるので前の巻を読んでから時間が結構開く。次の巻が出るまで期間が開くと、最新刊が出る頃には、前巻の内容を忘れてしまっているということもあり、途中でいったん前の巻を読み直し、それからまた最新刊を読むことになる。
今回も、最初にさらっと最新刊の17巻を読み、もう一度読み直す前に、本棚から16巻を持ってきてベッドに寝転びながら思い出すようにめくっていった。
羽海野チカ『3月のライオン』16巻と17巻
前巻、『3月のライオン』16巻は、冒頭、クリスマス間近の場面で、零くんとひなちゃんが、プレゼントでジグソーパズルを買う。
それから、舞台は変わり、宗谷名人のおばあちゃんや、おばあちゃんのピアノの教え子で子供を連れて途方に暮れていたことから家で預かることになった“たまちゃん”の話などが続く。
さらに、シーンは川本家に戻り、年始のジグソーパズル大会や、零くんとひなちゃんが二人きりで、夜の(おそらく)隅田川沿いの辺りを歩きながら話している光景が描かれる。幸せな空気が漂っている。
二人の会話では、過去を思い返しながら、二人が出会っていなかった頃の自分が想像もできない、という話になる。この感覚が、すごくよかった。出会ってから、出会っていなかった頃を思い返し、そんなことがもはや想像もできないということに気づいたとき、いっそう縁が尊く、奇跡に思えてくる。
また、零くんとひなちゃんが歩きながら話している際に、ひなちゃんが言っていた台詞で心に染みたのが、「向いてる」とはどういうことか、ということに関する言葉だった。
ひなちゃんたちは、おじいちゃんに屋台を任せてもらったときに、自分たちで計画を立て、試行錯誤した。失敗は怖いし、焦ってパニックになった。何度思い出しても情けなくなる。それでも、不思議と、投げ出せなかった。
どんなに落ち込んでも、「よし!! 次こそは絶対!!」って思っちゃうの!!
私、思うんだ。きっと、こんな風にね、しつこくてあきらめきれない気持ちを、「向いてる」って言うんじゃないかなって。
羽海野チカ『3月のライオン』16巻
このひなちゃんの台詞に、僕自身、強く励まされるようだった。簡単になんでもできてしまうことではなく、何度失敗しても諦められない気持ちを、「向いてる」と表現すること。
16巻は、全体的に、零くんとひなちゃんの恋愛模様やいじらしさが中心になっていた。
これが16巻の簡単なあらすじで、続く17巻は、前半が、桐山零くんと二階堂との闘いで、将棋が中心だった。
詳しい将棋の戦術は分からないものの、自然と無邪気に暴れるような、二階堂曰く、犬の「ジャックラッセル」のように振る舞う桐山零に、二階堂が敗れる。
この勝負の後日から、なぜか零くんと二階堂は少年に戻ったかのように“いちゃいちゃ”し始める。このいちゃいちゃぶりの理由については、将棋の対戦で「心友」の扉が開いてしまったのではないか、と説明がある。二人とも、ずっと友達がいなかったから、小学生の頃のような気分に戻っているのではないか、と。
ずっとライバルだったぶん、ふいに友人として意識を始めている感覚なのだろうか。周囲も気恥ずかしくなるほどに、二人は仲良しになる。表紙デザインも、この仲良しの二人が描かれている。
また、17巻では、もう一つ、三日月堂のことも描かれている(調べたら、三日月堂には、老舗和菓子屋さんの壽堂というモデルのお店があるそうだ)。
あかりさんが、工事現場の人たちにお団子などを振舞い、ひいてはカレーまでご馳走し、そのカレーが、今度は近隣で話題になるなど、商売上手な雰囲気が伝わってくる。
商売上手とは言え、ちゃんと提供する側も、受け取る側も、笑顔で、優しさが根底にあり、そのなかで「商売」というものが描かれている。「売る方も、買う方も、双方が笑顔。それが“いい商い”だ。逆に、どっちか片っぽだけが笑顔ってぇのが、“わるい商い”。そーゆうヤツは続かねぇ」と、おじいちゃんは言う。
17巻は、全体として幸せで、特別大きな事件があるわけではなく、穏やかな巻となっている。
17巻の好きなシーンは、昔の光景として描かれる場面だ。
二階堂が、体が弱く、島田さんと師匠が会話のなかで、(二階堂について)静かに暮らしたほうが健康でいられるんじゃないか、という島田さんの言葉に対し、師匠が、将棋の道を行くことを彼が選んでいるのに、「座して死を待て」というほうがよっぽど酷だよ、と投げかける。
命と、幸福、人生の選択について問いかける。
それから、17巻の終わり頃の話として、島田さんが、零くんについて考える姿も印象に残った。
島田さんの脳内で、こんな言葉がよぎる。
桐山は、幸せになって、まとっている空気が柔らかくなり、すごく変わった。人間らしくなった。よかった。「人間なら倒せる」と。
確かに、人間離れした、将棋のために全てを捧げるような怪物だと、これは勝てない、と思うかもしれない。でも、怪物が、人の温もりを知り、愛を知り、守るべきものができたら、人間らしくなったら、人間であるなら、倒せる。
このときの覚悟のような島田さんの眼差しと言葉と、にこやかに帰っていく零くんの笑顔との対比がよかった。
強くなるためには、何かを失い続けなければいけないのか、ということ。欠落していた部分を手にしてしまったら、弱くなるのか、ということが、最近の3月のライオンのテーマの一つになっているように思う。