『未来少年コナン』とは
最近、宮崎駿監督の初期作品で、ジブリ設立以前、かつてテレビアニメとしてNHKで放送された『未来少年コナン』を観ている。
僕が生まれるよりももっと前の1978年放送で、毎週30分の全26話。ジブリ作品は好きで色々と観てきたものの、『未来少年コナン』は、これまで一度も観たことがなかった。
今朝、主人公の少年コナンが、「のこされ島」を出発し、新しい島でジムシーと出会い、仲間となる第3話まで観終わった。
まず、全く前提の知識もなく観たので、物語の設定が、強力な兵器によって世界が滅びかけ、その後の生き残った人々や世界を描いている、ということを初めて知った。
確かに、タイトルでは「未来」とありながら、背後の近代的な乗り物が朽ち、少年が原始的な装いをしている。対比が際立っている。
宮崎駿『未来少年コナン』
物語の冒頭部のあらすじは、『未来少年コナン』のウィキペディアで分かりやすく紹介されているので、その文章を引用したいと思う。
西暦2008年、核兵器以上の威力を持つ「超磁力兵器」が用いられた最終戦争が勃発。五大陸は変形し地軸も曲がり、多くの都市が海中に没した。
戦争から20年後(西暦2028年)、「のこされ島」と呼ばれる小さな島に墜落した宇宙船(ロケット小屋)で、コナン少年は「おじい」と二人で平穏に暮らしていた。
ある日、海岸に少女ラナが漂着する。彼女はハイハーバーという島で暮らしていたが、科学都市インダストリアの者たちにさらわれ、隙を見て逃げ出したのだった。
しかし、ラナを追ってのこされ島にやってきたインダストリアの行政局次長・モンスリー達によって、ラナは再び連れ去られ、おじいはラナを守ろうとした最中でロケット弾の暴発により致命傷を負う。
死期が近付いていることを悟ったおじいは、コナンに島を出て仲間を見つけるよう告げて息を引き取った。
コナンは深い悲しみに暮れるが、やがて落ち着きを取り戻しておじいを埋葬し、ラナを救うため、そして仲間を見つけるために島から旅立つ。
この『未来少年コナン』は、「破壊と再生」が軸となった壮大な物語もさることながら、コナンの繊細かつ活き活きとした感情表現も惹きつけられる。
たとえば、第2話「旅立ち」で、おじいが死んでしまったあと、コナンが悲しみを表現するシーンが凄かった。
コナンは、外に出ると、一気に駆け出し、全身泥だらけの様子で、「おじい、おじい」と嘆き、泣き叫びながら、大きな岩をつかんでは振り落として割っていく。そして、自分の体と同じか、それよりも大きい、巨大な岩をやっと持ち上げ、海に投げ入れると、体力が尽きて倒れる。
おじい以外の人間を見たことがなかったので、コナンにとっては、初めて大事な人が死別するということでもある。また、突然奪われた、という怒りもあった。
そのときの感情を、ただしんみりと泣いたり、地面に突っ伏して叫んだり、落ち込んで表現するというのではなく、「岩を割っていく」という演出が斬新だった。
ジムシーとタバタバ
それから、今ならコンプライアンス的にどうか、といった形で問題視されるのではないかと思われるシーンが、第3話で新しい仲間として出会った少年ジムシーが、タバコらしきものを吸っている場面だ。
ジムシーは、「オレの島」と呼ぶ島(プラスチップ島)で生活し、インダストリアの人間が船で訪れたときには、蓄えていた芋やネズミなどを彼らに渡し、代わりに「タバタバ」と呼ばれる白い棒状のものを受け取る。
最初、タバタバというのは、札束に近い何か、この近辺の島で、お金として使われるものなのかな、と思ったが、その正体はすぐに明らかになる。
ジムシーが、そのタバタバを口につけ、吸い込み、白い煙を吐き出す。どう見ても「タバコ」だ。
ジムシーの年齢は10歳(コナンは12歳)らしく、見るからに子供で、子供がタバコを吸っているアニメの映像というのも、普段見ることのない光景だった。さらに、仲間の誓いとして、そのタバタバをコナンに渡し、コナンが思いっきり吸うと、たちまち青ざめ、ばたんと倒れる。
その様子を見ながら、「ははは、俺たちは仲間だ」とジムシーは笑う。大らかな時代だなと思う。
宮崎駿『未来少年コナン』 タバタバを吸うシーン
宮崎駿監督作品のタバコ描写の例で言えば、ジブリ製作の映画『風立ちぬ』の際、作中に喫煙シーンが多いことから、日本禁煙学会が苦言を呈したことが話題となったこともある。
学会が8月12日付で制作担当者へ送付した要望書「映画『風立ちぬ』でのタバコの扱いについて(要望)」によれば、「教室での喫煙場面、職場で上司を含め職員の多くが喫煙している場面、高級リゾートホテルのレストラン内での喫煙場面など、数え上げれば枚挙にいとまがありません」と具体的にシーンを列挙し、主人公が病室で結核患者の妻の横で喫煙するシーンや、学生が“もらいタバコ”をするシーンを特に問題視している。
そして「さまざまな場面での喫煙シーンがこども達に与える影響は無視できません」「映画制作にあたってはタバコの扱いについて、特段の留意をされますことを心より要望いたします」と、制作側へ求めている。
別に当時の時代背景や演出上の必要性から、タバコが必要なら、その表現をいちいち“常識”に照らして排除することはないと思う。とは言え、『未来少年コナン』の場合は子供向けアニメだ。しかもNHKによるテレビ放送にもかかわらず、子供がタバコを吸うシーンが普通に許されていたことに、時代を感じる(ただ、2020年の再放送時にもカットされなかったようだ)。
先の記事で、映画制作の社員の言葉として、学生同士のもらいタバコに関して、「戦争や震災という、常に死と隣り合わせの極限状態の中で、貴重な贅沢であるタバコを通じて友情を交わすこのシーンには、宮崎監督のさまざまな思いが込められている。」とある。
未来少年コナンのなかでも、ジムシーがわざわざ食料と交換し、交渉も行っていることから、タバコ(タバタバ)が貴重品であることが伺える。
その貴重なタバコ、自分の吸っていたタバコを、相手に渡す、ということは、深い友情の証という意味合いが強いのだろう。