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夜の不安感と白湯とツボ

昔から、不安感に襲われることがある。特に予期不安も多かったし、寂しさ由来の不安も多い。芥川龍之介が自殺した際の遺書に書き残していたような、「ただぼんやりとした不安」ということもある。

予期不安というのは、また体調が悪くなったらどうしよう、ということを予め実体験から想像し、不安になり、結果として、その不安感によって行動が怖くなることを意味する。不安感によって、結局体調が悪くなる。こうなったらどうしようという現実を、不安によって招き寄せてしまうことになる。寂しさ由来の不安もある。慢性的に、ずっと思っている寂しさが、ふとしたときに溢れ出すのだと思う。そして、その寂しいという感情を、なんとか覆い隠そうとする心との衝突が、不安となって現れているのかもしれない。寂しさを素直に吐露し、受け止めてもらえるならいい。でも、なかなかそんな風にはいかず、宙ぶらりんのなかで、必死にもがき、そのもがきが不安になる。ときには「死にたい」という状態まで向かうこともある。ぼんやりとした不安というのもある。これといった矛先がなく、それゆえに解消する術もない。静かな夜に訪れる空白のなかで、滲み出てくるように不安感や心細さに侵食されていく。

不安には、波があり、時間帯がある。夜になると不安に襲われる、ということも多い。そういった話はよく聞くし、経験上もそう思う。

夜は、不安になりやすいし、強い不安感の発作に絡みとられる。なぜなのか、自分の感覚で考えるなら、一つは、体のリズムの問題として、そもそも夜は不安になりやすい、というのはあるのだと思う。連日大体決まった時間帯に不安感や体調不良に襲われることもあった。その時間になると、ドアを開ける訪問者のように、不安感や、体調悪化の症状が顔を出す。酷いときは、夜になるのが怖いとさえ思った。

あるいは、日中は、まだやるべき事に追われていたり、なんとなく目を背けることのできる刺激に溢れていても、夜になると、一人になったり、静かな空白が現れる。その空白に、終わらない思考や未来の想像など、不安をつくる要素がなだれ込んでくる、という側面もある。不安のスイッチが入ると、なかなか止まらない。思考もぐるぐるまわり、考えすぎては不安になり、不安になっては考える、という悪循環にはまる。

対処法というのは、なかなか難しい。ただ、中学生くらいからずっと病的な不安感と付き合ってきて思うのは、「不安感」とは、動悸や強張りなどと関連する面があるということ。つまり、不安には、身体的な側面がある、ということだ。だから、深呼吸をしたり、軽いストレッチをしたり、お風呂に使ったり、白湯を飲んだり、不安のツボを指圧したり、体を緩める、といった身体へのアプローチが効果的に働く。

ある整体師さんが、不安感や死にたくなる感情が強いときは、肘の内側や脇の下が張っているので、ほぐすようにするといい、ということを言っていた。夜に死にたくなることが多い、という人は、強い不安感と関連していることもある。そのときには、肘の内側などを指先でほぐすといいかもしれない。

精神的に限界な人、希死念慮がある人は内側と脇の下がパンッパンに張っていて硬い。緊急時は説得するよりここを解してあげるほうが早い。心と心臓と関わりが深い部位でもあるからここが詰まっていると本当に心臓がギューッと苦しくなる。鬱々になる前にほぐしておくのも大事で身体と対話が一番。

金城lかぽ

そんな風に、色々と試しながら、不安の波と付き合い、自分のなかでやりくりしている。こういった不安感は、考えることで消える、ということは、なかなかない。不安を解消しようとして、つい考えすぎてしまうことも逆効果に働く。だから、不安を燃料とてつい色々と考えてしまう、頭が働きすぎる、という状態に対し、「一時的にでも止める」、ということが、対処法として非常に大事になってくる。

そのためには、瞑想をしたり、星を眺めたり、木々に触れたり、夜だけでも、SNSや他人との連絡、ニュースなど、考えすぎるスイッチが入る情報を避ける(自分にとって不安や考えすぎのスイッチが入るきっかけが何か、ということも振り返って書き出してみるといいかもしれない)。また、軽いランニングなどもいい。ランニングに限らず、体を使った何かの作業に没頭していると、頭が考えることに向かわない。情報処理に余裕がなくなる。熱いお風呂も、僕は浸かることがある。熱いということに意識が集中し、思考まで余裕がいかなくなるのかもしれない。

思考はどんどん回転していくので、一時的にでも、引き剥がし、考えることが停止されると、入ってしまった無限ループの思考スイッチも落ち着く。向いている対処法は人それぞれで違うので、試しながら、自分の形を模索していくといいと思う。

それから、こういった方法は、あくまで夜になると不安に襲われる、ということへの対処法だが、その襲いかかる不安感の発作というのは、日々のストレスなどが積み重なり、一つの形として現れている、という面がある。クレジットカードの支払いのようなもので、弱ったり、ふと空白が訪れたときに、まとめて払われる。

症状として夜に不安が現れるとしても、その原因は、離れた場所にあるかもしれない。夜にせよ、弱っているときにせよ、日々の無数のストレスが、積み重なり、一つのまとまった形として溢れ出る。だから、不安が慢性的に続くようなら、その現れる不安感だけを抑えつけようとするのではなく、「ストレス要因の整理」をすることでも、その波はだいぶ落ち着くようになる。

これは、不安が強くて眠れない、というときでも同じことが言える。結局、日中の疲労やストレス、食生活も含め、日中にため込んだものが、夜に決算されるような感覚なのだと思う。僕自身も、夜の対処法だけでなく、日中や、日々の生活を改めるようにしてから、夜の発作的な不安感や眠れない状態というのは、相当に落ち着いた。薬を使わなくても眠れるようになった。逆に言えば、その日一日、食生活も乱れ、情報刺激も大量に取り込み、精神的なストレスにも晒されていると、夜の“支払い”がとんでもないことになる。

だから、もしどうしてもと言うときは、その日一日、あるいは二日、断食をし、スマホなども触れない、情報を取らない、という日を作ってみるといいと思う。僕自身、夜にその日の支払いが行われる、ということを意識したら、だいぶ落ち着くようになった。不安というのは、ある意味では正常な反応でもある。不安がなかったら、正しい判断ができない場合もある。センサーが働き、これはなんだかおかしいな、不安だな、ちょっとやめておこう、という場合もある。一方で、私生活に支障をきたしたり、眠れなくなるほどの不安、あちこちでセンサーが反応してパニックになる、止まらなくなる、まして「死にたい」と感じられるほどの堪え難い不安感は、体や心に限界が来ているサインでもあるので、その場しのぎだけでなく、色々と変えていく必要がある。

いずれにせよ、無理矢理、その都度溢れてくる不安をねじ伏せようとすると、どうしても悪循環にはまってしまうことになるので、逸らしたり、和らげたり、日中の生活やストレス要因など、少し離れた場所から攻めていったほうがいいと僕は思う。